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母のおかげ

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高齢&病後の母の病院や買いものの付き添いとか、
親との付き合いが増えた今日この頃。
昔は私の方が母への苦手意識が強く、
互いにつかず離れずな関係だったけど、
母の病気をきっかけに身近で接する時間が増え
二人で会話することも格段に多くなった。
多くはたわいのないバカ話で
母に対して苛立つ事は格段に減り、
それなりに楽しく過ごせるようになり、
なんか時間の経過って、凄いよねww

私は子どもが生まれて仕事を離れたため、
家計が厳しい時期が数年続いた。
それに関しては、生活苦を感じても、
仕方がない、そんなもんと、
あんまり不幸感を感じることも無く、
子育てを楽しみながらやり繰りして
毎日を過ごしていた。

でも、家計がギリギリの苦しいときがあっても
親に頼ることはしなかった。
だって母って面倒臭い人だったから、
元々精神的にアテにできないし。
それをアテにした時の母の過干渉を考えると
母に関わるよりは多少の貧乏の方が楽だった。
しかし、私以上に兄の方が悲惨。
大学時代から関東方面で一人暮らしをしていた兄と、
十数年ぶりに親戚の葬式で会ったとき、
食事も事欠く極貧生活で数十キロ激やせしてたのに、
私は二人子育て真っ最中と経済的な余裕の無さで
気になりながらもそのままにしてしまった。
しかし、母の方は激やせを気に留めながらも、
もう一歩踏み込んで大丈夫?と訊ねることもしないまま、
それも、そこまで追い詰められている認識もせず、
ほぼスルーしていたという話し。

その頃母は、父も亡くなって数年マイペースな一人暮らしで、
趣味に買いものに、知人に食事作ったりと、
生活苦がない、のんびり気楽に過ごしており、
しかし、私や兄の子供の苦境にまったく気がつかない、
訊ねることもしない鈍い人間だったということに
最近改めてどん引きしてしまった。
母も自分がどん引きされるほどの人間だったということを
はじめて自覚しながら、自分の鈍さに愕然としていた。
でも、80歳を目前にそこに気がついた母も
ある面、柔軟ですごいのかもしれないし、
今さら落ち込まないところも良いところかw

ま、そんな人だったから
私も母に対してやるせない気持ちになったり、
苛立って苦手意識が強かったんだな。
愛して欲しくて、愛してくれている実感が得られない状況。
しかも母が嫌いでいながら嫌いになれず、
母に気を使ってほとんど本音を話せなかった。
それがようやく母が耳を傾けられる状況が訪れて、
やっと事実を話せるようになった。
母もずいぶん変わったと思う。

とはいえ、私も母が神経質で自分本位と知っていたが、
あそこまで鈍い人だったなんて改めてビックリ。
それが、私の内面に満たされない寂しさを育てる原因になった。
同時に、親をアテにしないで自分の足で生きる力と
本当に大事なことは何か、外の世界を知りたい意欲と
真理を探そうとする意識も育てられた。
私自身、世間とずれてたり、人の気持ちに疎かったり、
かなりまっとうじゃない変な部分もあるけれど、
それでも、今の自分は嫌いじゃない。
そして、今の自分がいるのは、
そんな親の元で育ったおかげ。
母(&父)のおバカのおかげと言える。

親と気持ちが噛み合わない故の愛情欠乏で、
それを妬んだり、恨んだりする時期はあったけど、
それはもう過去のものになったし、
今では、母の精神年齢が幼かったんだなぁとか、
母にもその当時の限界があったんだと思うだけで、
多くのことが割り切れるかな。

母も棺桶に片足突っ込んだ年齢になって気がつくことがあり、
私も、この面倒臭い感情に縛られる環境を
敢えて選んで生まれてきたという妙な実感もあって、
だから、こんなアホな母だけど、
それはそれで必要だったんだ。
それを50を越えて振り返られるようになったのも
我が事ながら良かったと思う。

認識しないことは存在しないこと同じで、
しかし歪んだエネルギー確実にある。
それを互いに意識化したためにようやく形を取り、
そして、イッチョ上がりとそれなりに昇華できた、
そうなっていたならいい。

そして、母も私もお互いそれぞれバカだったけど、
どちらかが死ぬ前にわだかまりが消える、
こんなこともあるから、
年を取るのもいいもんだw

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